eki clock 再生産

eki clockは、札幌駅の東西コンコースにそれぞれ1点ずつ設置されています。モデルとしたのはスイスの駅時計。スイス国内のすべての駅に、大小3000点が設置されていました。ウォッチやクロックも生産されており、1980年代初頭、アラン・フレッチャーさんが愛用されていたウォッチを見せてもらった時に初めてその存在を知りました。シンプルで明快で強く優しいデザインは、スイス人デザイナーのハンス・フィルフィカーさんが1944年に手掛けられたもの。偶然にも私の生まれた年です。札幌駅の時計をデザインしたことをきっかけに、スイスの駅時計にならって、クロックとウォッチを開発しました。

designshop(こちらでeki clockをご購入いただけます。)

PARCO PART3のロゴ

パルコ・パート3のロゴの仕事はインテリアの監修をした倉俣史朗さんからの依頼でした。翌日にはデザインが出来上がっていたと思います。当時のパルコはTVコマーシャルが石岡瑛子さん、広告が浅葉克己さん。パート3の広告は戸田正寿さんがロゴを一杯に使った新聞全段のオープン告知広告をつくってくれました。
東京を訪れた外国人デザイナーの多くが訪れるスポットだったため、パート3のロゴはまたたく間に世界に知れ渡りました。
ロンドンのデザイン集団『TOMATO』は、このロゴを元に新しい作品を生み出し発表しています。

『TOMATO』結成25周年を記念しての展覧会(渋谷パルコにて 2016年3月12日~4月3日)

Cooper Hewittのコレクション

1981年にアメリカの国立デザインミュージアム・クーパー・ヒューイット(ワシントンDCのスミソニアンのデザイン部門でマンハッタンにある)から手紙が届いて、立体アルファベットの小さな版画2点がコレクショに収蔵されました。その後もたびたび連絡があり、現在、版画、ポスター、プロダクトなど15点の作品が収蔵されています。そして、最近、美術館のホームページで一部の作品についてテキストと音声で解説がされるようになりました。35年間、絶え間なく充実への努力を続ける美術館に敬意を表したい気持ちです。

Cooper Hewitt

<記事の日本語訳>

進展の最中

「アメリカ西海岸のグラフィックデザイナー」は、五十嵐威暢がウェストコーストのグラフィックデザイナーを日本の読者に紹介する出版物を促進するため、1975年にデザインしたポスターである。特集されているデザイナーの名前のイニシャルを立体的で彫刻のようなアルファベットで表現することによって、そのシンプルな構図に遊びの楽しさが加わっている。また、ウェストコーストの穏和な気候と陽気なオプチミズムを呼び起こす明るい配色は、アメリカのデザイン界に対する好奇心をそそう。

実に1975年は、五十嵐が後に彼のトレードマークとなる透視図法を使ったレタリングを探査し始めた年だ。彼の最初の試しみはアイデア紙130号の表紙である。同年のウェストコーストのポスターと比べると表紙のアルファベットははるかに単純で形も塊である。ラインホルド・ブラウン・ギャラリーのロバート・K・ブラウンは五十嵐の表紙のアルファベットの取り扱い方がロシアの前衛デザイナー、エル・リシッツキーが1922年にデザインしたブルーム紙(Broom)の表紙に著しく似ていることを指摘している。

ブラウンによると、字体の持つ装飾的要素に対する五十嵐の強い関心は、文字の実験的な用法を試みた1920年代のヨーロッパの前衛芸術運動と関連しているとのことだ。当時のグラフィックデザイナーにとって文字はただの実用的なコミュニケーションの道具であった反面、多くのキュービストや未来派、及びダダイストの画家たちは表現の要素として文字を用いた。

しかし決定的なのは、五十嵐はただ過去のモダンアートとデザインにおいて確立されたヴィジュアルランゲージを固守しているだけではないことだ。彼のウェストコーストのポスターは、単純な字体に複雑な構造を与えることによって装飾性を増し、実際にヴィジョンの拡張を達成している。また、彼の文字の展開はこの二点の作品に限らずこの先どんどんと発展していく。MoMA に依頼されたカレンダー・シリーズは五十嵐がどこまで文字の再発明を突き進んで探究したかを明らかにしている。

多くの意味で、彼のカレンダー作品は字体とかタイポグラフィーという言葉では表現できないほど複雑なイラストレーションである。初期の字体の化身との差異は著しい。

例えば1989年7月のカレンダーの数字は豪華な建築物あるいは遊園地の図面のようである。複雑で入り込んだ、かつ精密に描かれたディテールは見る者の想像力を掻き立て、いろいろな観点から数字を観賞することができる。実際、数字の建築構造の真っただ中に入ることまで想像できるくらいだ。

五十嵐が1980年代に文字の立体的なフォルムを追求していった結果、彫刻家として新たなクリエーティヴ・キャリアを打ち出したことは不思議ではない。 その後の作品が物語るように、彼のウェストコーストのポスターは確かにデザイナーとしての創造的転機であったと言えるだろう。彫刻的なアルファベットの構造は四次元の空間を示唆し、その後の制作活動の基盤となっている。五十嵐のアルファベットは従来のタイポグラフィーの限界を飛躍して進展していったのだ。

野見山さくら/Cooper Hewitt
2016年2月11日提載

Translation by Naoko Metzler

サントリーホール30周年を迎えて

サントリーホールのロゴをデザインして30年。「響」という漢字を元につくられていますが、これを立体化したホール正面の彫刻の他に4カ所に連作としての小彫刻が設置されています。ホールに行かれたときに捜してみてください。

30周年を記念して「響」の彫刻のイラストによるTシャツをはじめとして、新しいオリジナル商品がショップで販売されます。

サントリーホール開館30周年記念事業

インタビューレポート

テラコッタ作品を制作する際にお世話になっている滋賀県信楽町の大塚オーミ陶業による『彫刻家・五十嵐威暢 ~ つくることは、生きること ~』と題した全3回のインタビューレポートが公開されました。

彫刻家・五十嵐威暢 ~ つくることは、生きること ~ 第1回

彫刻家・五十嵐威暢 ~ つくることは、生きること ~ 第2回

彫刻家・五十嵐威暢 ~ つくることは、生きること ~ 第3回